広島旅行で、平和記念公園と広島平和記念資料館へ行った。
原爆については学校でも習ったし、写真や映像を見たこともある。
それでも、資料館で実物の遺品や被爆者の証言を見ていると、「知っている」と「実際に見る」は全然違うと思った。
広島駅から市電で平和記念公園へ
広島駅からは市電に乗って向かった。
路面電車なので初めてでも比較的分かりやすく、Suicaも使えた。
街中を走る市電に乗って原爆ドームへ向かっていると、普通に人が暮らしている現在の広島と、これから見る1945年の広島が同じ場所だということを改めて感じる。
市電自体も戦前から広島を走っていたと知ると、少し見え方が変わった。
15時ごろはかなり混んでいた
私が資料館へ行ったのは15時ごろ。
館内はかなり混雑していた。
展示の前で立ち止まりたくても、人が多くてなかなか近づけない場所もある。
じっくり見たいなら、朝の早い時間か、閉館時間に余裕を持った夕方寄りの方が見やすいかもしれない。
今回はかなり丁寧に見て、3時間ほどかかった。
軽く一周するだけならもっと短くできると思うが、一つひとつ説明を読んで、写真や遺品を見ていると、思った以上に時間が必要だった。
一番生々しかったのは、遺体回収に使われた道具
資料館で特に印象に残ったものの一つが、川に浮かんだ遺体を引き上げるために実際に使われた道具だった。
原爆の熱や爆風については、数字として知ることができる。
でも、こういう実物を見ると急に現実になる。
特別な機械ではない。
人が実際に手に持って、一体ずつ遺体を引き上げた。
その事実がかなり重かった。
溶けて一つになったガラス瓶
たくさんのガラス瓶が、熱で溶けて一つの塊になった展示もあった。
ガラスが曲がったという程度ではなく、複数の瓶が原形を失って一つになっている。
原爆の熱がどれほど強かったのか、温度の数字を読むよりもずっと分かりやすかった。
普段なら割れやすいはずのガラスが、今度は溶ける。
その異常さが目の前に残っている。
原爆症の紫斑が怖かった
被爆直後だけではなく、その後に現れた症状の展示も怖かった。
特に印象に残ったのが、皮膚に現れた赤紫色の斑点。
放射線によって骨髄が傷つき、血小板が減少したことで起きた紫斑だったという。
爆発の瞬間を生き延びても終わりではない。
数日、数週間してから、脱毛や出血、発熱などの症状が出る。
放射線は目に見えない。
その見えないものが身体の内部まで傷つけていくことを、展示を見て初めて実感した。
なぜ川に多くの遺体があったのか
被爆者が川へ向かう絵も多く残されていた。
重いやけどを負った人たちは、猛烈な熱と喉の渇きから水を求めた。
街では火災も広がっていたため、川は炎から逃れる場所でもあった。
しかし、すでに重傷を負っていた人も多く、川の中で力尽きた。
最初に見た遺体回収の道具が、ここでつながった。
水を求めてたどり着いた場所が、そのまま最期の場所になった人も多かったのだと思う。
投下16日前の「なぜ広島だけ」
もう一つ、生々しかったのが原爆投下直前に書かれた広島県知事の手紙。
全国の都市が空襲を受けているのに、広島だけがほとんど被害を受けていない。
それを不気味に感じている内容だった。
今の私たちは、その後に何が起きたか知っている。
でも、その手紙を書いた人は知らない。
「なぜ広島だけ無事なのだろう」
と感じていた十数日後に原爆が落ちる。
完成された歴史の説明よりも、未来を知らない人がその時点で残した文章の方が怖かった。
被爆者がその後も差別されたこと
原爆の被害は1945年8月6日で終わらなかった。
被爆した人たちは、その後、結婚や就職などで差別されることもあった。
放射線について十分な知識がなかった時代、
「被爆した人に近づくと病気がうつるのではないか」
「子どもにも必ず影響が出るのではないか」
という恐れや誤解があった。
展示の中に、子どものころ友人の母親から避けられた被爆者の証言があった。
それでも後年、その母親について、未知のものから必死に我が子を守ろうとした人だったと理解し、「尊敬している」と書いていた。
差別された側から相手の事情まで考えられることに驚いた。
マニラで見た展示を思い出した
資料館を見ながら、以前マニラの要塞で戦争に関する展示を見たときのことを思い出した。
そこでは、日本軍がフィリピンで行ったことが、かなり衝撃的な写真とともに紹介されていた。
私はそれまで、日本軍が現地でそこまで酷いことをしていたことをよく知らなかった。
かなりショックだった。
そして広島では、日本の一般市民が受けた被害を見る。
両方を見て思った。
どちらも知らないといけない。
日本人が原爆で受けた被害を知ることと、日本が他国で加害者だったことを知ることは矛盾しない。
むしろ両方を知ることで、戦争を単純な「こちらが被害者、あちらが加害者」という話では見られなくなる。
3時間かけても、まだ考えることが残った
資料館には約3時間いた。
かなりじっくり見たつもりだったけれど、外に出たあとも頭の中にはいろいろ残った。
原爆は知識として知っていた。
でも、遺体を引き上げた道具、溶けたガラス、身体に現れた紫斑、被爆者が残した絵や文章を見ると、それまで知っていたものが急に具体的になる。
広島へ行くなら、予定を詰めすぎず、平和記念資料館には数時間取っておいた方がいいと思う。
見終わったあとに、すぐ次の観光地へ移動したくなる場所でもなかった。
