石川県立図書館の4階で、1925年の『キング』創刊号を手に取った。
歴史や社会の授業で名前を見た記憶はあった。でも実物を読んだら、「昔の有名な雑誌」という説明だけでは全然足りなかった。
いま読んでもおもしろい。
『キング』は大日本雄弁会講談社が1925年に創刊した月刊の大衆雑誌。その後、1927年の新年号で100万部を突破した。
創刊のあいさつ文は、いきなり強い。
「キング」は雑誌界の王者である
創刊号からこの自信。
名前が『キング』なのだから当然といえば当然なのだけれど、100年後に読むとかなり楽しい。誌面には旧仮名や今よりずっと硬質な書き言葉が並ぶ。「国際競争場裡」「文明進歩の母」のように、漢語をぎゅっと圧縮した表現も多い。
その一方で、難しい漢字にはびっしりルビが振られている。難しい言葉を使わないようにするのではなく、難しい言葉も使う。でも読めるようにはしておく。大衆誌として面白い作りだと思った。
ページをめくると突然カラーの口絵も出てきた。
古い縦書きの誌面の途中に、急に鮮やかなカラーが現れる。100年前の人も、このページを開いたとき「おお」と思ったのかな、と想像すると楽しい。
その隣には、キッコーマンの広告も載っていた。大きく書かれた「キッコーマン」の文字を見て、100年前の雑誌の中で、今も知っている名前に出会うのが不思議だった。
私が『キング』で一番衝撃を受けたのが、英語通信講座の広告だった。
1925年の雑誌に、自宅で英語を学ぶ通信教育が普通に載っている。雑誌で広告を見る。申し込む。教材が届く。家で勉強する。
今でいうユーキャンのような通信教育を、100年前からやっていたことになる。英語を勉強したい、できるようになりたい、という欲求自体は今とあまり変わっていない。でも、売り方はかなり違った。
今なら、
「1日5分で」
「忙しくても続けられる」
みたいに手軽さを訴えそうなところを、この広告はそんなに優しくない。
1年3カ月の間、毎日3時間勉強してごらんなさい。
という趣旨のことが堂々と書かれている。毎日3時間を、1年3カ月。
近道を売らない。
「簡単にできます」ではなく、それだけ勉強すればできるようになるから、やりなさいという世界だった。英語を身につけたいという人間の欲望は100年前も今も似ているのに、広告の訴求はずいぶん変わったんだなと思った。
さらに驚いたのが、高橋是清の寄稿。「富の力、智の力、而して人格の力」という文章が載っていた。
当時の高橋是清は、すでに総理大臣、大蔵大臣、日本銀行総裁などを経験した人物で、この時期は農商務大臣だった。
そんな人物の文章が、大衆雑誌の創刊号に普通に入っている。しかも今読んでも結構面白い。
特に引っかかったのが、
有ったものが無くなるということは、始めから無かったよりも悲惨である
という一節。100年前の文章なのに、資産でも企業でも国家でも、いろいろなものに当てはまりそう。
『キング』は小説や娯楽だけの雑誌ではなく、政治、教養、自己改善、広告まで全部詰め込んだ総合メディアだったのだと思う。
しかも『キング』、読むだけでは終わらない。「キングの歌」まである。
楽譜が載り、歌詞があり、踊りまで紹介されていた。
雑誌を読ませる。歌わせる。踊らせる。
今でいうメディアミックスのようなことを、100年前からやっている。
そして調べて、さらに驚いた。現在のキングレコードは1931年、講談社内のキングレコード部から始まっている。
「あのキングレコードの“キング”って、ここにつながっていたのか」と、また100年前と現在が急につながった。
『キング』は戦時中の1943年、『富士』に改題されている。国立国会図書館の所蔵情報でも、『キング』が1943年2月でいったん終わり、同年3月から『富士』へ引き継がれたことが確認できる。
理由は、「キング」という英語の題名が敵性語とみなされたためだったとされる。国立国語研究所の資料でも、この改題が戦時下の言語統制の一例として触れられている。戦後の1946年には、また『キング』に戻った。
雑誌の中身だけではなく、タイトルそのものまで時代に翻弄されていたのが面白い。一冊の古い雑誌を見ていただけなのに、出版、広告、英語教育、音楽、政治、戦争まで次々につながっていく。かなり長い時間、ここでページをめくっていた。
そして『キング』を読んでいて、ちょっと意外なことに気づいた。
私、読めてる。
冒頭に書いた通り、最近は一冊の本を持ってじっと読むのがしんどい。なのに100年前の雑誌は、次は何が出てくるんだろうと思いながら、何ページも何ページもめくっている。
たぶん私は、本そのものが嫌になったわけではなかった。文章を最初から最後まで一直線に読むより、写真や広告や短い記事を見ながら、興味があちこちに飛ぶ読み方のほうが今は合っている。図鑑なら楽しく読めるのも、たぶん同じ理由。
石川県立図書館は、「一冊の本を静かに読み切る場所」というより、
巨大な知的セレクトショップ
みたいだった。
歩いて、気になるものを見つけて、少し開いて、また歩く。私にはその使い方がかなり合っていた。
石川県立図書館全体のことは、金沢で一番気に入った場所は、石川県立図書館だった に書きました。