石川県立美術館に入ったのは、琳派の屏風絵が見られると知ったからだった。
私が行ったときは「琳派Ⅰ-光悦・宗達・宗雪-」が開催されていて、俵屋宗達の《槇檜図屏風》などが展示されていた。もともとの目的は、完全にそちらだった。
琳派の展示チケットを買うと入れるコーナーを歩いている途中、見覚えのある名前が目に入った。
林忠正。
一瞬、足が止まった。
原田マハさんの小説『たゆたえども沈まず』で、私が特に好きだった登場人物の名前だったからだ。
しかも私は、そのときまで林忠正が実在の人物だと知らなかった。
「え、この人、本当にいたの?」
小説の中にいた人が、突然こちら側の世界に出てきたような感覚だった。
私が林忠正を好きだった理由
『たゆたえども沈まず』で描かれる林忠正は、日本からパリへ渡り、美術商として西洋社会の中に入っていく人物だ。
私が特に好きなのは、異国の地で、相手と対等な紳士として振る舞うところ。
海外へ行くこと自体が今よりはるかに大変だった19世紀。言葉も文化も商習慣も違う場所で、「外国から来た珍しい日本人」として扱われるのではなく、一人の商売人として認められようとする。
そのために言葉を学び、相手の文化を知り、信用を積み上げる。
格好いい。
商売人だから、もちろん利益は考える。でも、金のためなら何でもする人ではない。買い叩かれれば抵抗するし、相手に取り入るために自分の誇りを売ったりもしない。
状況を見る目も冷静だ。
西洋人が日本美術をどう見ているのか。美術市場がどこへ向かっているのか。日本が西洋からどう見られているのか。
周囲の空気に流されず、一歩引いたところから状況を見て、自分の打つ手を考える。
私はそういう林忠正が好きだった。
100年以上前に、海外へ出て勝負するということ
小説を聴きながら何度も思った。
この時代に海外へ出て挑むって、今より何倍も大変だったんだろう。
飛行機に乗れば十数時間でヨーロッパへ行ける時代ではない。インターネットも翻訳アプリもない。日本にいる家族や友人と気軽に連絡を取ることもできない。
そんな環境で、異国の商売の世界に入っていく。
その中で、相手に合わせるべきところは合わせる。でも、自分の誇りまで失わない。
信じた道を、自分の判断で進み続ける。
私が林忠正という人物に惹かれたのは、たぶんそこだと思う。
浮世絵をめぐる嘆きが、今も妙にリアルだった
『たゆたえども沈まず』の中で印象に残ったもののひとつが、浮世絵をめぐる林の思いだった。
日本ではそれほど高く評価されていなかった浮世絵が海外へ流れ、フランスをはじめとするヨーロッパで熱狂的に受け入れられる。
そして海外で価値を認められてから、日本人がようやく「あれはそんなにすごいものだったのか」と気づく。
小説の林は、そこに複雑な思いを抱いている。
これが妙に今っぽかった。
アニメでも、ゲームでも、音楽でも、食でも、日本国内では当たり前すぎて価値を見落としていたものが、海外で高く評価されてから急に見直されることがある。
外から評価されて、初めて自分たちの持っていたものの価値に気づく。
100年以上経っても、同じようなことを繰り返しているのかもしれない。
なお、ここで書いている林の感情やゴッホ兄弟との交流は、あくまで『たゆたえども沈まず』という小説の中で描かれたものだ。
林忠正本人は実在の美術商だが、実際にゴッホと接触したことを示す証拠は現在のところ確認されていない。原田マハさん自身も、実在の林忠正を軸にしながらフィクションを組み立てたことを語っている。
この「実在とフィクションが混ざっている」ということも、美術館で本人の名前を見たあとでは一段と面白く感じた。
私はAudibleで聴いた
私は『たゆたえども沈まず』をAudibleで聴いた。
Audibleは、散歩しながら聴くのが好きだ。
お風呂に入りながら。バスや飛行機の中で。寝る前のひとときにも聴く。
紙の本だと「本を読む時間」をきちんと取らないといけないけれど、音声なら日常の隙間に物語を持ち込める。
そしてこの作品については、私はAudibleで聴いたことで、より感情移入できたと思っている。
特に好きだったのが、林忠正の声。
落ち着いていて、状況を冷静に見ている感じが声から伝わってくる。その声で林の台詞を聴くと、人物の輪郭がかなりはっきりする。
ゴッホと弟テオの苦悩も印象的だった。
売れない兄を支え続けるテオ。自分自身の生活や仕事もある中で、それでも兄を見捨てられない。
フィンセントの不安定さも、テオの苦しさも、朗読の声が入ることで私はより近く感じられた。
本で読む楽しさとはまた違うけれど、この作品は耳で物語の中に入るのと相性がいい小説だと思う。
美術館で出会ったのは、林忠正が集めた西洋画だった
そんな林忠正の名前を、まさか金沢で見るとは思っていなかった。
私が見たのは、石川県立美術館で開催されていた「近代の美術-油彩画-」の展示だった。訪問時の2026年8月8日から9月13日まで開催されていたもの。
そして展示されていたのは、浮世絵ではなく西洋画だった。
ここも面白い。
林忠正というと、西洋へ日本美術を紹介した美術商というイメージが強い。
けれど彼は、西洋で日本美術を売っただけではなかった。
現地で西洋美術に触れ、日本にも西洋美術を紹介する必要があると考え、自ら西洋美術を集めていた。
国立西洋美術館によると、林は松方幸次郎より約25年も早く、日本に西洋美術館をつくる構想を持っていたという。ところが帰国と早すぎる死によって、その夢は実現しなかった。集めた作品も、生前・没後の売り立てによって散逸した。
日本美術を西洋へ持っていきながら、西洋美術を日本へ持ち帰ろうとしていた。
一方向ではなく、両方の文化を行き来させようとしていた人だったんだと思う。
どうして林忠正の絵が金沢にあるのか
ここで、もうひとつ気になった。
林忠正は現在の富山県高岡市の出身。
それなのに、なぜ林の旧蔵西洋画が石川県立美術館にあるのか。
調べてみると、理由は前田家だった。
林の死後、前田家16代当主の前田利為は、東京・本郷の前田邸に明治天皇を迎える準備を進めていた。
その際、西洋館を飾るために、1909年に林忠正の旧蔵コレクションの一部を購入したという。石川県立美術館の公式解説にも、この経緯が残っている。
つまり私が金沢で見ていた絵は、
林忠正が西洋で集める → 林の死後、前田家が購入する → 100年以上を経て、石川県立美術館で見る
という時間を通って、そこにあった。
これを知ると、一枚の西洋画が急に違って見える。
絵そのものだけではなく、誰が選び、誰が買い、どうやってここまで残ってきたのかまでが作品の背景になる。
残念ながら展示室内は撮影できなかった。
なのでこの記事にも絵の写真はない。
でも、だからこそなのか、「林忠正」という名前を見つけた瞬間のことはかなり鮮明に覚えている。
小説の登場人物が、現実世界に現れた
美術館へ入るまで、私の中の林忠正は『たゆたえども沈まず』の登場人物だった。
それが、琳派の展示チケットを買うと入れるコーナーで名前を見つけ、実在の美術商だったと知った。さらに調べると、本当にパリで日本美術を商い、西洋美術を集め、日本に美術館をつくろうとしていた人物だと分かった。
実在の林忠正と、小説の林忠正はもちろん同じではない。ゴッホ兄弟との交流など、物語として創作された部分もある。
それでも、フィクションをきっかけに好きになった人物が、旅先で現実世界に現れたように感じた。本と現実があとからつながることがあるんだなと思った。
次に聴くときは、以前とは違う林忠正が見える気がする。
私は林忠正を探しに石川県立美術館へ行ったわけではない。見たかったのは琳派の屏風絵だった。それなのに、予定外の再会がいちばん印象に残った。
『たゆたえども沈まず』を聴く
私はAudible版で聴いたことで、林忠正やゴッホ兄弟の感情にかなり入り込めた。
散歩、お風呂、移動中、寝る前。
少しずつ19世紀末のパリへ戻っていく時間も含めて、好きな作品になった。